「しつけ」とは子どもに「○○力」をつけてあげること

こんにちは、ちゃママです。

春休み中ですが、いかがお過ごしでしょうか?

実はいま、息子と旅行中です。

今日はたくさん歩いたので、足が棒のようになっています…(約1万2000歩;)

「旅行には宿題を置いて行ったら?」と言いましたが、「いや、持ってく!」と、ホテルでも朝のうちに宿題をしています…。

 

さて、いま読んでいる汐見先生の本で、「しつけ」について考えさせられました。

学校でつらくなる子

学校とは、みんなと一緒に学習し、ともに生活する場だ。

学習の面は別にしても、チャイムが鳴れば席にすわる、身の回りを整理する、机の上を散らかさない、みんなと一緒に動くといった生活動作がきちんとできないと、子どもがつらい。

家庭で親から認められないと、自負心を育てることができない。

自負心がもてない子どもは、自分の可能性にも自信がもてないので、本当の能動性が身につかない。

先生にせかされないとやらないし、やれない。こんな小さな無理が、子どもの心をつらくさせる。

そんな子を「しつけ」がなっていないと指摘するのは簡単だが、そういう場合の「しつけ」とは何をいうのか、どうしたら身につくのかをはっきりさせておきたい。

「しつけ」とは

世間でいう「しつけ」とは、社会の決まりや教えを守らせることなどをいう。

小学生には箸の持ち方、ご飯の食べ方、ぞうきんの使い方などもそうだ。

しかし、できない子どもを頭ごなしに批判すると、子どもが自分で選ぶ力を弱めてしまうことがある。

とくに低学年でそうなりやすい。

 

親の考えを押し付けないで、子どもの考えを聞きながら、どうする?それでいいの?などと進め、子ども自身に判断させるようにすると、自分でもできたという満足感が残る。

そのような気持ちが「しつけ」を守って学校生活を楽しもう、友達と一緒に行動しようという自主性を育てる。

 

ところが、強制してやらせようとすると、自分の気持ちを無視されたと感じるので、投げやりな気分にさせてしまう。

すると、子どもはつらくなって、すぐに疲れてしまう。

 

要するに、本来の「しつけ」とは、決まりなどを守るよう自分で判断できるようになるために、気持ちを大切にしてもらいながら、自分で考えるように仕向けてもらって身につけるものなのだ。

もっと自分で判断する力をつけてやること、それが「しつけ」の中身だろう。

 

そうした判断力が持てると、自分の意思で社会の期待にそった行動ができるようになる。

幼いころから、子どもに自分の責任で判断させ、自分で行動を選ぶということを訓練してやらないと、なかなか身につかないものなのだ。

 

高学年には強い調子のほうが効くこともあるが、そんな場合でも、自分で考えようという状況を作ってやること。

自尊心を傷つけられたのでは、心までカゼをひくからだ。

ちゃママ感想

今回遊びに行った先でのこと。

アトラクションを待つ列に並んでいるとき、列を仕切る柵に登ったり、柵の上に座ったりしている子がいました。

結局は、その子たちの親に注意されて降りることになるのですが…

この文章を読んで、そもそもそのような柵は「登るべきではない」と自分で判断して行動できるようにすることが大切なんだと感じました。

大人になっても柵に登る人はいないですよね。

それは登らないのが当たり前だと判断しているから。

 

息子もまだ「それはこういう時はやらない方がいいよ」とか「それをここでするのはカッコ悪いよ」ということがあります。

子どもが受動的ではなく、自主的に物事に取り組めるようにするためにも、根気よく判断力を育ててあげようと思いました。

 

ちなみに、以前も書きましたが、コトバンクによると、

しつけとは、社会生活に適応するために望ましい生活習慣を身につけさせること。

基本的生活習慣のしつけが中心になるが,成長するにつれて,家庭,学校,社会などの場における行動の仕方へと,しつけの内容が拡大していく。

しつけの目標は,社会生活の秩序を守り,みずから生活を向上させていくことのできる社会人に育て上げることである。

また,しつけを効果的に行うためには,成長段階に応じた適切な方法をとることが必要である。

すなわち,乳児期から幼児期にかけては親が範を示して根気よく繰返し,叱るよりも,上手にできたときにほめて力づけ,理解力が深まるにつれて説得に主眼をおくようにするのが望ましい。
とのことです。

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