「三六九の子育て力」いまでも見習いたい江戸の子育て術とは

こんにちは、ちゃママです。

図書館で借りた本を読みました。

人口百万人を超える大都市だった江戸の町。

さまざまな人がどうしたら気持ちよく円満に生活できるか、商人たち町屋衆が中心となって作り上げたノウハウが、今の「江戸しぐさ」と言われているものです。

基本は皆が互いに支え合い、助け合い、いたわりあって暮らしていこうという相手尊重主義の精神

家庭でも町でもしつけの基本は「思いやり」

そして、根底にあるのは「自分の頭で考え、自分の言葉で話し、一日も早く自立する」ことを願う親たちの考え方だといいます。

子どもの成長段階に応じた養育やしつけを、最適なタイミングで実践していた江戸の子育て術。

わたしの気になった部分を紹介します。

目次

子育ての基本

「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末決まる」は、江戸の子どもの段階的養育法を教えた言葉。

三歳までは心を育み、
六歳になるまでに手取り足取り口移しで、繰り返し真似をさせ、
九歳までにはどんな人にも失礼のないものの言い方で応対ができるようにし、
十二歳では文が書けるようになり、
十五歳では暗記ではなく物事の理屈をわかるようにさせるのが親の務め。

いくら躾をしようと思っても、最適なタイミングを逃しては身につかないと考えたそうです。

三歳までは心を育む

「三つ心」

江戸では、人間は「頭脳」「身体」「心」の三つから成ると考えていた。
頭脳と身体をつなぎ、バランスを取りながら操るのが、心の糸の役割。

表情、話し方、あいさつ…人間のしぐさ、行動のすべては、この心の糸がコントロールする。

江戸の親たちは「糸は一日一本として、三年で約千本張るつもりで心がけよ」と言った。

人間の心の糸をこの時期にしっかり張っておかないと、大人になってからでは糸が硬くなってしまい、人間にとって大切な心や感性(生きる力)がスッポリ抜けてしまう。

子どもが今後幸福に生きていくために、人間としての基本を作るのがこの時期という考えを持っていた。

 

では、まだ話もできない幼児の心を育むにはどうしたらいいか。

人間の心がいかに大事かを日々親の言動を見せながら、見よう見まねで覚えさせていた。

子どもは大人の口真似で言葉を覚えていく。
物心がついてからは親が積極的にいろいろと話しかけることで、自然に子どもの言葉が増えて、学校にあがるころにはきちんと一人前のあいさつができるようになる。

「いただきます」「ごちそうさま」という日常の言葉も、親の真似をしながら言うようになっていくもの。

「子どもは親の言うとおりにならない。親のしたとおりになる」

大人のすることを見取らせ、子どもが自分から見取って真似をしたときに、心からほめる
叱って教えるよりも、真似をさせるほうが効果があることを知っていた。

六歳までは手取り足取り大人の真似をさせる

「六つ躾」

物心がつく頃には大人のあいだでは静かにしていることを覚えさせ、六歳までに善悪の区別や、相手を思いやる身のこなしを教えるという意味。

江戸寺子屋の入学日は六歳の陰暦六月六日。
今なら七月半ばの土用のころで暑い盛り。

別名「暑さ我慢会」と言い、師匠のお説教を一刻(二時間)じっとして聞けることが入学条件だった。

そのため、家族以外と触れ合う機会が多くなるまでに、善悪の区別をきちんと教えた。

 

六歳以上になると、子どもが自発的に大人たちや兄姉のしぐさを見つめ、見取るようしむける躾をした。

中でも「往来しぐさ」は、子どもに社会性を身につけさせる躾の第一歩。

「肩引き」
狭い道で他人とすれ違うときには、互いに右に肩を引きあった。

「こぶし腰浮かせ」
乗り合い舟であとから乗ってきた人のために、こぶし分の腰を浮かせて、全員が少しずつ詰めて席を作った。

「傘かしげ」
狭い道では傘のしずくが相手にかからないように、互いに傘の外側を傾けて往来した。

その他、
「目の前の人を仏の化身と思い、一期一会の出会いも大切にする」
「時泥棒をしない」
「肩書きを気にしない」
「遊び心を持っている」
ことが基本。

とくに「時泥棒は弁済不能の十両の罪」と言われ、勝手に他人の時間を奪う行為は重罪に匹敵した。

借りたお金はあとで返すことができるが、奪った時間は返すことができない。

例えば、突然アポイントもとらずに人の家に押しかける、電話をしたときに先方の都合も聞かずに長話をする、集合時間に遅れて皆を待たせるなどの行為は、時泥棒ということ。

九歳になったら自分の言葉であいさつを

「九つ言葉」

言葉づかいは江戸商人にとって最も大事なこと。

商人の才覚は言葉で決まると言われ、子どもが九歳ころまでには、どんな人にも失礼のない対応ができるようにすることが親の務めだった。

江戸っ子は世辞が言えないと一人前とは言えない。
世辞とは、「こんにちは」「おはようございます」のあとに、ひとこと、ふたこと付け加える言葉のこと。

「いいお天気ですね」などといった世辞が九歳ころまでに言えるようにしつけた。

 

人と上手にコミュニケーションが取れるようにするために必要なのは、状況を判断して空気を読む力、察する力をつけさせること。

「見てわかることは言わない」ということを江戸っ子は肝に銘じていた。
汗をかいている人には「すごい汗ですね」ではなく、「どうぞ」と冷たい飲み物を差し出すのが江戸しぐさ。

見たままをそのまま口に出すのは、まだ世間を知らない稚児だけ。
そんなときは親が相手に気づかれないように、目配せなどしてたしなめるしぐさをした。

※これは先日書いた「学校では教えてくれない!子に伝えるべき2つのこととは」のようなものですね。

 

言葉は人間関係を円滑にする道具であり、潤滑油。
江戸では、言葉は「言の葉(ことのは)」ではなく、「事」(行為、行動)と同じ重みがあるとされていた。

言葉が乱れるということは、生活も乱れている証拠。
生活が乱れてくると、言葉も乱れてくるので注意せよ、と戒めた。

子どもの言葉遣いが乱れてきたら、親は子どもの暮らしぶりを見直してみるべきなのだそうです。

江戸の養育の最終段階

「十二文、十五理(ことわり)で末決まる」

江戸商人の子弟は十二歳になれば注文書、納品書、請求書など曲がりなりにも書けるようになった。

子育ての目標は、子どもが早く自立できるようにしていくこと
主の代わりが務まる準備をしておくのもそのひとつ。

ひととおりのことを教わっているかどうかで、いざというときの危機管理に違いが出る。

 

十五歳になれば、自分でものを考える年齢になる。

幼いころのように、情報をただインプット→アウトプットするだけではなく、経済、社会、物理、化学、心理学などの勉学すべてを、暗記ではなく実際に理解できるようになる。

この年齢になれば、その子どもの行く末もわかる

その子の得手・不得手を見抜き、個性を尊重し、適材・適所の道へ振り分ける。
それが寺子屋の師匠や、江戸講の講師の務めであり、能力だった。

ちゃママ感想

人間は互角、共に楽しく精神的に豊かに生きようとする「共生の思想」が感じられる「江戸しぐさ」。

そして、これまでこのブログでも、

  • 自己肯定感を育てるには3歳までが重要
  • 優しさは2~3歳から覚える
  • ミラーニューロンシステムを利用する

など幼児期の子どもにとって大切なことを紹介してきました。
(よろしければ、下の「ブログ内検索」でキーワードを検索してみてください(^-^))

現代、脳科学などでわかってきたことを、江戸の人たちは言い伝えや経験からわかっていたのでしょうね。

親の背中を見て子は育つ

成長の段階に合わせてしつけをすることの大切さを改めて感じました。

そして、知識のみの詰め込み教育ではなく、いつの時代でも子どもの未来を考え、人間としての生き方を教えることが一番大切だと感じる一冊でした。

こちらも参考に↓

【注目】子どもの成長にはベストタイミングがある!|ホンマでっか