こんにちは!
NHKおはよう日本の「世界のメディアザッピング」の高瀬アナの最後のひと言が楽しみな、ちゃママです。
(マニアック?笑)
さて、今朝(2017年9月6日放送)のNHKニュースおはよう日本。
「けさのクローズアップ」のコーナーは、小学校で習う「道徳」が教科に変わるため、今までと何が変わるのかという内容でした。
小学生の保護者は必見です!
(ちなみに、中学校は2019年度から教科化)
目次 [閉]
教科化で変わる2つのこと
全部で22項目あるという道徳で習う内容。
こうした内容について考え、議論する道徳の授業が、来年度から小学校で始まります。
これまでも学校で道徳の時間はありましたが、正式な教科ではありませんでした。
他の教科の補習にあてられるなど、教師によっても取り組み方に差があったのです。
それが来年度以降、格上げされて教科となり、年間35時間、週一回程度の授業を確実に行っていくことになります。
こうした内容をどう教えるのか。
教科化によって、大きく2つのことが変わります。
1.国が検定した教科書が使われる
これまで使われていた副読本は、国の検定を受けていませんでした。
来年度から使う教科書は、民間の出版社8社が国の検定を受け、一部の記述を修正したうえですべて合格しました。
教科書には細かく定められた内容項目に応じて「家族愛」「誠実」「国や郷土を愛する態度」などを考えるための教材が掲載されています。
自治体ごとに、どの教科書を使うかが先月までに採択され、こうした教科書を主な教材として、4月から授業が行われます。
2.評価が導入される
国語や算数のように「よくできる」「できる」「もうすこし」といった段階ごとの評価ではなく、外国語や総合的な学習などと同様に、記述式で教師が評価を書くことになります。
また、この評価は入試には使わないとされています。
教え方で悩む教師
教師たちは、どのように教科書を使って授業を行い、どのように通知表で子どもたちを評価するのか。
道徳ならではの難しい問題が見えてきました。
教科化が半年あまりに迫るなか、いま、各地で教師向けに研修会が開かれています。
先月長野で行われた研修会。
教材を軸にした授業の組み立て方を学びました。
授業であつかう例として配られたのは、外国からの転校生が出てくる物語です。
ベトナムから来たリャンちゃんは、今日もさみしそうにしていた。
(文部科学省「私たちの道徳」より)
主人公の女の子は転校生を気づかいながらも、言葉の壁を感じ、なかなか声をかけられません。
この話を通して、人に「公正」「公平」に接するとは何かを考えます。
しかし、教師からはこの読み物に対し、違和感があるという声が上がりました。
外国にルーツがある子どもたちが増えるなか、クラスによってはこの物語が適さないのではないかという指摘です。
教師A
「子どもたちが逆に『自分のことかな』と意識してしまうんじゃないかな?道徳の授業をやることによって、子どもを傷つけるパターンも出てきてしまうと思う」
子どもを取りまく環境が大きく変わるなか、全国一律の教科書を使うことがそぐうのか。
たとえば「家族愛」という項目を、母子家庭や父子家庭の子どももいるなかで、どう教えるのか。
参加した教師にアンケートをとったところ、「配慮が必要だ」という声が聞かれました。
教科書ができても、その内容がクラスの実情にふさわしいのかどうか、慎重に吟味する必要があると教師たちは実感したのです。
評価方法で悩む教師
さらに教師たちを悩ませたのは、評価についての説明です。
東京都内の小学校に勤務する菊池智巳さん。
道徳をどのように評価すればいいのかわからないと言います。
菊池さん
「道徳は子どもたちの心を育てる学習なので、評価できるのかな?どういう風に評価するのかな?と。子どもたちをずっと評価の目で見るのもすごく抵抗がある」
研修では、大学教授や文部科学省の官僚から、評価の考え方が解説されました。
文部科学省担当者
「道徳性を養うために、どういう学習に取り組んでいるかを評価する」
協調されたのは、思いやりや誠実さなどの内容ごとの評価ではなく、道徳の学習状況からいかに成長したかを認め、励ます評価をするということでした。
しかし、それはいったいどのような評価で何を記述すればいいのか。
菊池さんは、明確にはわからなかったといいます。
菊池さん
「具体的な活動の場面にことをうつすと、まだイメージがわかない。やってみないとわからない部分があるので、その概念とか捉え方をもとに、学校に持ち帰って具体化できればいいと思う」
模索が続く教育現場
スタジオには、高瀬アナ、和久田アナ、取材した神津ディレクター。
さまざまな子どもがいる中で、一律の教科書を使うことは難しいというのはわかるが、1つ1つの項目で評価するのではない?
はい、違います。
とても難しいのですが、例えば「誠実」や「思いやり」という項目がありますが、道徳の授業を通して「高瀬さんは誠実になった」「思いやりが芽生えた」という風に評価することは、ふさわしくないということです。
そもそも、高瀬さんが道徳の授業によって誠実になったかどうかは、他人から見てわかるものではない。
「わたしが高瀬さんをどれくらい誠実と感じるか」と、「和久田さんが高瀬さんをどれくらい誠実と感じるか」は、必ずしも同じではないですよね。
それを評価するとなれば、教師の価値観によって「子どもの人格」が評価されることに繋がってしまうのです。
たしかに、性格や人格を評価するのは違う気がするが、一体何を評価するの?
あくまで、授業への取り組みの様子を丁寧に見て、子どもたちがどのように道徳性を学ぼうとしていたかを評価するということです。
本当に学ぼうとしているのかを、見て判断するのは難しいと思うが、そうまでしてでも教科にする必要があったということ?
道徳の教科化については、戦後議論が続くなかで一貫して見送られてきましたが、国はいじめの問題が相次いだことなどをきっかけに、全国の学校で道徳教育を充実させたいと、今回正式な教科にしました。
しかし、一方で子どもに特定の価値観を押し付けることはあってはなりません。
学んで欲しいが、正解はない。
その中で道徳をどう教え、評価するのか。
教科化まで半年あまりとなった今もなお、模索が続いている状況です。
ちゃママ感想
恥ずかしながら、来年度から道徳が教科化されることを知りませんでした。
息子は、
「好きな教科は、国語と道徳」
と言っていますが、いまは道徳の教科書がないので、どんなことを習っているのかわかりません…
どんなところが好きなんだろう?
そして、
「学んで欲しいが、正解はない。」
たしかに道徳って難しいですよね。
人間は「誰かの悪口を言う」などなど、不道徳な欲望も持っているものですよね。
自分の中に悪い心もあると認めたうえで、「でも、悪口を言ったらいけないよね」というのが大事だったりします。
そして、学校で道徳教育を受けていても、たとえば親が「学校に自家用車で来ないで下さい」と言われているのに自家用車で行くとなると、子どもはどう思うのでしょう?
子どもは親の背中を見て育つ
この親にしてこの子あり
幼い子どもは、親の行動はすべて正しいものだと思って、親と同じ行動をとります。
でも、自己判断できるような歳になれば、良いと思ったことは真似をし、悪いと思ったことは反面教師にします。
親でも完璧ではないというありのままの姿を見せて、子どもの行動を見ながら親も一緒に成長しようという気持ちが大切ですね…
ん?なんだか話が脱線しているような?
大丈夫?(笑)