こんにちは、ちゃママです。
3連休も終わり、元気に学校へ行った息子。
宿題を終えて、お友達の家へ遊びに行っています。
がっ!
昨夜、寝る前に話したことが衝撃的すぎて、書かずにはいられないので書こうと思います。
目次
「小学校つらい…」を覚えていない
昨夜、寝る前に息子といろいろな話をしていました。
その中で、1学期に一度だけ遅刻して行った日が、通知表では「欠席扱い」になっている話をしました。
「オレもう欠席1になってるの?」
「そうなんだよね…あの日は途中から学校に行ったから、遅刻だと思うんだけどね」
「中休みの終わりとかだった気がする」
「教室に入ったとき、あまり目立たなかったって言ってたような?」
「えー、目立ったよ。で、あのときなんで途中から行ったんだっけ?」
「えっ!?”小学校がつらい”って言って…」
「そんなこと言った?」
「え!?覚えてないの!?」
「ついこの前言ったのは、覚えてる」
「4月とか5月とか、”小学校つらい”って言ってたんだよ?」
「知らな~い」
「先生が怖いとか、1人で学校に行くのが淋しいだとか…」
「え?言ってないよ?」
「友達に会うまでって、ママが途中まで一緒に行ってたじゃん?」
「そうだっけ?」
「えーっ!?ホントに覚えてないの?」
「覚えてない」
「え?4、5、6…9月…、半年前の記憶がもうないんだ!」
「ない!」
ズゴーーッ!
ですよ、、ほんとーに。
息子を心配した日々
「小学校がつらい」という息子を、あんなに心配したあの日。
泣きながら玄関を出て、窓から見送るわたしに手を振りながら、涙をぬぐって歩いていったあの日。
毎朝途中まで一緒に登校した数週間。
友だちに会ったら、
「あ、もういいよ、バイバーイ!」
と急に走って行ってしまったり、
「うちのママね、お尻大きいからウォーキングしてるの」
と、ついて来てもらっていることを友だちに隠していたあの日。
本当は少~し覚えているけど、忘れたフリをしているだけかな?
それとも、新しいことを次々と覚えて、毎日のように外遊びをしているから、本当に忘れたのかな?
子どもの半年は、大人の10年。
まさに、それを感じたのでした。
息子の記憶の摩訶不思議
話は続いていました。
「この前、”毎日5時間授業だからつらい”って言ったのは覚えてるのね?」
「うん。あ~、でもたまに4時間授業だよ?」
「たまに?」
「うん、9月〇日は4時間授業だった。あ〜忘れられない」
「あ、先生たちの研修かなにかで4時間のときはあったね」
って、9月〇日っていう日にちまで覚えているのに、つらかった4~5月を忘れてるっていうね、なんだかね。
これもそのうち忘れるんだね、うん。
ちゃママまとめ
以前、大人と子どもの時間の感覚には差があるという話を書きました。
子どもって、とくに小さいうちは、その日起こったあらゆることを記憶しようとするそうです。
そういえば前に、「幼児期健忘」について書いていました。
今回のことで、子どもはすぐに忘れてしまうからこそ、親はその時々の子どもにきちんと向き合うことが大切なんだなと実感しました。
息子との毎日のやりとりや、わたしの対応の積み重ねが、いまの息子を作っている。
そして、泣くほどつらかった日々を忘れてしまったこと。
人は悲しいぐらい~
忘れてゆく~生きもの~
突然、ミスチルの「Tomorrow never knows」の歌詞が、頭に浮かびました。
人って生きていくために忘れることも1つの能力なんだなと改めて思いました。
つらい思い出は覚えていないほうがいいよね、うん。
あぁ…息子との毎日を大事にしよう!