サンタはいる!クリスマスに子どもに伝えたいこととは

こんにちは、ちゃママです。

ハロウィンが終わるとあっという間にクリスマスやお正月関連のものが店頭に並びますよね。

そこで、今日はクリスマスに関する話を書こうと思います。

目次

ちゃママの小さいころの話

わたしは小さいころ、12月24日にはクリスマスらしい料理やケーキを食べ、ドキドキしながら寝て、25日の朝には希望していたプレゼントが枕元に置いてあり、

「サンタさんが来てくれた!」

と大喜びしていました。
サンタはいるものだと信じ、毎年クリスマスが楽しみでした。

ところが、小学2年生のとき、クラスで「サンタはいるのか、いないのか」という議論になりました(議論って笑)。

たしかに、あんな細い煙突から入れるわけはないし、世界中の子どもたちにひと晩でプレゼントを届けるなんて無理とは思っているんですよ。

でも、「サンタはいる派」でした。

 

そんな12月のある日。

わたしには兄がいるのですが、「ちょっと来て!見て!」と言われて祖母の部屋に行ってみると、タンスの上におもちゃ屋の包装紙に包まれたプレゼントらしいものが2つあったのです!

「えぇーーーーっ!!!」

それでも私たち兄弟は、気づいていないフリをして24日の夜ごはんをみんなで食べました。

19時になり、そのままリビングでアニメを見ようとしていたら、

「ニュースを見るから向こうの部屋で見て」

が言うのです。
私たちは、うすうす気づきながらも素直に奥の部屋に移動しました。

しばらくして、

「いまボイラー室から音がしたぞー」

と父が言いました。(唯一、煙突がある場所)

「えぇー!」

なんて言いながら見に行くと、まさにあのおもちゃ屋の包装紙の箱が2つあったのです!(笑)

大喜びしながらも、「実はね、」と事前に知っていたことを話したら、

「あははははっ!!」

と父が大笑いし、家族みんなで大爆笑したのでした。

そんなことがあって、サンタさんからのプレゼントは祖母や両親が用意してくれていたことを知りました。

息子も怪しみだしたサンタの存在

そんな楽しい思い出があるわたしは、もちろん息子にも同じことをしてきました。

25日の朝、息子よりも少し早く起きて、息子が目が覚めてプレゼントに気がついたときの様子をビデオに撮るのが楽しみでした(笑)

でも、去年からは、

「ママ、サンタさんって本当にいるの?」

と疑問を持ち始めました。

うちには煙突もないし、鍵もかけているのにどうやって入ってくるのか、どうして希望するプレゼントがわかるのかなど疑い始めました。

それでも前日の夜は、

「ドキドキして眠れない」
「布団に隠れて起きたまま待ってようかな?」

などと言いながら、結局は寝てしまっていました。
おそらくクリスマスが近づいてくると今年も怪しむと思います。

サンタがわかったとき伝えたいこと

わたしは両親にプレゼントを枕元に置いてもらったことは、すごくワクワクしたし、幼少期の楽しかった思い出になっていますが、息子はどう思うのだろうか。

真実がわかったとき、どのように対応したらいいのか…。
そんなことを考えていた去年、この文章を見つけました。

有名なので、ご存知の方もいるかもしれませんが、紹介します。

サンタクロースはいるんだ

ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日 社説欄

本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。

 

「こんにちは、しんぶんのおじさん。わたしは八さいのおんなのこです。
じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。
パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。
サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン」

 

ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。
きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。
自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。

でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。
この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。
ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。

 

じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。
愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。

もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。
ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。

サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。
見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。

 

サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。
だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。
サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。

そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。
ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。

 

ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな?
うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。
世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。

あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。
でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。

 

すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。

うそじゃないかって?
ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。

 

サンタクロースはいない?
いいや、今このときも、これからもずっといる。
ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

 

※そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。

ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ)

大久保ゆう訳

ちゃママまとめ

見えないものは「無い」ではない。

去年息子に「サンタさんってホントにいるの?」と聞かれたとき、まだこの社説の存在を知らなかったのですが、

「う~ん、ママも会ったことも見たこともないんだよね。ママも小さいころは朝起きたらプレゼントが置いてあったし。でも見たことがないからって”サンタはいない”とは言えないよね」

と答えていました。

そしてこの社説を見つけて読んだとき、息子に「サンタはパパとママでした~」と単純に現実的なネタばらしだけをするのはやめようと思いました。

だって、サンタはホントにいるんだもん(笑)

 

毎日の生活に追われていると忘れがちだけど、目に見えないものの存在の大切さに改めて気づかされるこの社説。

毎年この時期に読みたいなと思いました。

わたしも!というあなたには、オススメの絵本があります。

まさにこの社説の内容が本になっています。

わたしはさっそく図書館から借りてきました。(初版が古い本だからか、書庫にありました)

訳した人が違うため上記の通りではないのですが、わたしはこの本の訳のほうがいいなと思いました。

うすうす気づき始めた息子に、今年のクリスマスが終わったら読んであげようと思います。

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