こんにちは、ちゃママです。
昨日、2017年8月26日放送のウワサの保護者会SP「不登校~保護者ができることは?」レポを書きました。
実際に子どもが不登校中の保護者の話、専門家からの初期対応の仕方のアドバイス、国の取り組みなど、勉強になりました。
今日は番組の後半、不登校だった子どもが今どう過ごしているのかを書きます。
<出演者>
尾木直樹
かつてわが子が不登校だった保護者
現在子どもが不登校・行き渋りの保護者
<司会>
高山哲哉アナウンサー
目次
長い不登校を経て学校へ
和歌山大学教育学部4年、具路康平さん。
小学校から中学校にかけてのおよそ7年間、いわゆる不登校だった。
友達も多く、スポーツが大好きで活発な少年だった。
それが小学3年生のとき、突然学校に行かなくなった。
具路さん
「本当だったら行かないといけないという気持ちが心の中にあって、多分もやもやした感じで日々を過ごしていた」
学校には行かず、昼間は外にも出なくなってしまった。
母の暁代さんは、そんな息子の変わりように戸惑った。
暁代さん
「『明日から行かないから』と自分で宣言をして、なんかこれはただ事じゃないという感じだった。
(学校に)行けなくなるまでは、本当にごく普通の元気な子どもだった。そのことをきっかけに(家族と)話をしなくなった」
お母さんが具路さんと続けていた交換日記。
話をしてくれない中、なんとか気持ちを知りたいと日記の中で語りかけた。
家族で助け合っていこう
言いたいことは言ってください
しかし、 具路さんにとっては負担だったという。
人生やりなおしたいです
なんでぼくは今ここにいるのか、なぜこれを書いたのかわかりません
3年間続いた交換日記も途絶えてしまった。
日中、家で1人で過ごす具路さんが心配で、お母さんは職場を近所に変え、お昼は帰って一緒に食べるようにした。
さらに、学校に相談に行ったり、フリースクールを訪ねたりした。
しかし、状況は変わらなかった。
中学に入り、一旦は学校に通い出した具路さん。
しかし、小学校時代不登校だったことでいじめられ、再び行かなくなった。
暁代さん
「そのころは仕事に行っていても、帰ってきたらいなくなっているとか、リストカットしているとか、いろんなリスクを考えながら私たちも生きていたと思う。
ホントに生きてるだけで丸もうけの感じ。
もう学校に行くとか行けとかは思わなかった」
学校に行けとは言わなくなったお母さん。
具路さん
「そのときはすごい安心ではないが、(家にいても)いいんだと思って、(家は)安心していられる場所と感じていた」
こうして結局、ほぼ7年にわたって学校には行かなかった。
でもその間、ずっと繋がっていた居場所があった。
それは、小学校4年生のころから行き始めた、同じ県内にある和歌山大学プラットホーム部。
プラットホーム部とは、和歌山大学の部活動の1つ。
不登校の子どもたちと学生たちが2ヵ月に1回、一緒に遊んで交流をはかっている。
親とも先生とも違う大学生が、子どもと対等な立場で好きなことに寄り添ってとことん遊んでくれる。
具路さんにとって自分らしくいられる場所になった。
具路さん
「行った子どもが主人公という感じでみなさん接してくれるから、ものすごい楽しかった。
一日中、朝10時から夕方4時までずっと遊んでいた。
帰るときは、ものすごくうれしそうになっていたと思う」
こうして学校に行かないまま中学3年生になった。
いよいよ進路が気になり始め、プラットホーム部の親しい学生に相談した。
「とりあえず、高校は行った方がいいよ」
大学生の言葉がきっかけで高校に進学することを決めたという。
具路さん
「誰が話すかが大事で、全然知らないおじさんにそんなことを言われても行こうとは思わないが、親しい人が教えてくれるのは、すごい自分の胸に刺さる」
そして、中3の6月から久しぶりに勉強を開始。
週に一回家庭教師に来てもらい、あとは独学。
手探りで勉強を進めていった。
本人も合格できるとは到底思えなかったが、とにかく受験した。
結果は、見事合格。
県立高校への入学が決まった。
ほぼ7年ぶりの学校。
戸惑いはなかったのだろうか?
具路さん
「(高校生活は)最初はすごい緊張した。でも周りの友達が優しかったし、先輩たちも暖かく迎えてくれた」
授業は?
具路さん
「新鮮だった。逆に集中できるというか、たぶん小学校から中学校まで9年間授業を聞いていたら、高校に入ってしんどいかなとなるかもしれないが、逆に新鮮でおもしろかった」
高校では、囲碁将棋部とバドミントン部の2つを掛け持ち。土日も部活に明け暮れた。
そして、高校3年の6月に大学の受験勉強を開始。
塾には通わず自分で先生や先輩に教えてもらいながら学んだ。
目指すは和歌山大学一校のみ。
理由は、不登校の時期を支えてくれたプラットホーム部があるから。
そして、現役で合格した。
お世話になったプラットホーム部にも、今度は子どもたちと遊ぶお兄さんとして関わるようになった。
7年におよぶ不登校を経験し、高校から学校に戻るという選択をした具路さん。
いま大学まで進んでみてどうでした?
学校に戻ったのは?
<スタジオ>
はやぶささん
「親しい人に、高校に行った方がいいと言われたのが刺さったと。親ではダメ?」
具路さん
「親となると対等な立場ではなくて、上から言われてしまうので、そこには反発したくなる」
インコさん
「休んでいる時期などに、親にどうして欲しかった?」
具路さん
「認めてあげる、肯定してくれることをして欲しかった。
学校に行っていない自分を認めてくれるようになってからは、僕の気持ちも安心して、学校に行かない選択をしてもいいんだと思えた。
最初はお母さんの気持ちを優先してたんじゃないかなと感じていた」
高山アナ
「高校で不登校にならなかった理由は?」
具路さん
「人に恵まれていた。友達や先生、先輩にもいい方がたくさんいたのが一番大きい」
はやぶささん
「友達など家(家族)だけでは足りないという感じに聞こえるが、周りの環境が整ったから戻れたというふうに聞こえる。
もし小中学生のときに、先生や友達に恵まれていたら不登校にはならなかった?」
具路さん
「それはわからない」
ケイトウさん
「お母さんだけでもちゃんと味方してくれるような考え方に変わって、そばにいてくれたということですよね」
具路さん
「そうですね、安心できる場所が家にできて、安心できたからこそ次のステージへ行けたんじゃないかと思う」
はやぶささん
「それがたまたま高校進学のステージだった」
具路さん
「そうです」
高山アナ
「高校のときに、劣等感や引け目は感じた?」
具路さん
「他の子は学校に行っているから、自分は学校に行かないといけないのではないかということで劣等感は感じていた。
ただ、大学に入ってから行かなかった時間は、すごい大事な時間だったんだと思った。
行かない時間でいろいろなことを考える。
進路について悩んだり、ゲームの効率を考えたりw、自分は何になるんだろうとか世界ってどんななんだろうとか、いろんなことを考えた。
いろんなことを考えていると、少しずつ大事なことが見えてくる。
たとえば、”学校に行っていた時はお母さんがお弁当を作ってくれていたな”とか、”お母さんって優しかったんだな”とか、行かなくなって初めて気づく。
行っているときはすべてが当たり前。
友達と過ごす時間、先生や親と過ごす時間、旅行に行くとき、みんな当たり前。
大学に入ったときに、人のありがたさを感じて、”あの時間って大事だったんだ”と思えるようになった」
尾木ママ
「いまは自信をもって、不登校していて良かったと思います?」
具路さん
「はい。僕は学校に行かなかった時間はすごい良かったと思う」
学校に戻らずに社会へ
現在、店舗のデザイン、施工を行う工務店の経営者として、そして、飲食店のオーナーとして働く一瀬智久さん(39)も、かつて不登校になった経験がある。
当時は自分の将来を思い描くことすらできなかったという。
一瀬さん
「中1の登校拒否をしたころは絶望していた。”将来どうするんだ”って親も思っていたし、自分も思っていた。学校に行かなかったどうやって生きていくんだと」
一瀬さんが学校に行かなくなったのは中学1年生のとき。
本人にも、理由はいまだにわからない。
家族からも近所の人からも学校に行かないことを責められながら、家に引きこもって何もできない日々が続いていた。
一瀬さん
「学校も行っていないし働いていないから、お金は使えない、使っちゃいけない、家族に迷惑ばかりかけて、何もしてはいけないと思っていた」
何もできず引きこもり続ける一瀬さん。
心配した両親は、不登校の子どもを持つ親の会に出たり、本を読んで勉強するようになった。
そしてだんだん一瀬さんのことを責めなくなった。
すると、一瀬さんの気持ちも落ち着いてきた。
家に引きこもりながらも、料理を作ってみたりするようになった。
その後、中学2年のときにフリースクールへ。
仲間たちと公園で遊んだり、自転車で遠出したり、ログハウスを作ったりなどいろいろなことに挑戦した。
中でも心に残っているのは、みんなで熱気球を作って飛ばしたこと。
学校には行かなかったけれど、好きなことを通して学ぶことができたのではないかと一瀬さんは言う。
一瀬さん
「気球を作るなんてただ遊んでるだけでしょと考える人も多い。でも熱気球を飛ばすことは、ものすごい科学。
それをみんなで計算して飛ばすというのは、すごいことだと思う。
勉強というのは、いわゆる学校の勉強だけではなく、遊んでいることが勉強になると思う」
引きこもりの状態から抜け出した一瀬さん。
しかし、相変わらず学校に戻る気にはなれなかった。
そのころ、将来への不安はなかったのだろうか。
一瀬さん
「(不安は)なくなりはしない。将来の不安はずっとあった」
将来不安だけど、学校には戻りたくない。
自分には何ができるのかと考え続けた。
一瀬さん
「引きこもっていたときに料理をして楽しかった。
料理だったら実力社会だから、料理ができれば不登校は関係なくやっていけると思った」
そして、18歳で料理人の修行を開始。
レストランに住み込みで働き、休みの日にはお店のリフォームを手伝い、料理人と大工、両方の仕事を身につけていった。
修行を初めてから10年後、コツコツ貯めた200万円の資金を手に、28歳で念願の独立を果たした。
お店は当時まだ日本では珍しかったスペインバル。
修行の合間に行ったスペインのお店のイメージにしたくて、店舗のデザインから施工まで自分で手掛けた。
このお店が評判を呼び、飲食店の設計や工事を中心に、さまざまな依頼が来るようになり、工務店も立ち上げた。
多彩さを仕事に発揮している一瀬さん。
学校に行かなかったことを今はどう思っている?
一瀬さん
「今も別に後悔はしていない。
”やりたいことってやっていい”、それを知れたのはすごい良かった」
学校に行かなくても生きていける道を探した一瀬さん。
みなさん、どう思います?
学校に戻らず学ぶとは?
<スタジオ>
高山アナ
「遊びの中に、いろんなことを見つけたと」
一瀬さん
「本当にただ好きなことだけを見つけて、一つずつ”これが楽しそうだな”と思ったらそれをやる、というシンプルなことの繰り返しをずっとしていた」
コハダさん
「後悔がなかったと言うが、学校に行っていないと学力やコミュニケーション能力はどうなのかなと思う。困らなかった?」
一瀬さん
「勉強は知識が足りなければ、そのときに学べばいいと思っている。
僕が必要な知識は、普通の学校で教えてもらえることじゃないと思っていたので、僕には必要なかった。
コミュニケーション能力も、学校だと同じ年の人しかいない。社会に出ればいろんな人がいる。
学校に行かなかったからコミュニケーション能力が育たないというのは違うと思う」
尾木ママ
「本当の意味でのコミュニケーション能力とは、フリースクールなどで、異年齢の人と交流したりボランティアで地域に参加したり、どんどん関わっていけば育つ。
不登校になった人たちをたくさん知っているが、コミュニケーション能力は心配ない。
学力に関して、学校は非常に効率的に体系立てて9科目を上手に教えている。
合理的なので、それを利用するのに越したことはないけれど、一瀬さんの言うように、いま自分に欲しい知識はパソコンなどで得られるし、その知識を学ぶパワーというのは、学校でテストのためだとか赤点を取らないようにだとかという勉強の仕方とは、全く違う。
深く入っていって、習得のスピードも量も質も違ってくる」
ネジバナさん
「学校で学ぶことが学力だけではなくて、自分がやりたいこと知りたいこと、自分が興味を持ったことを自分の好きな時間に好きなだけ学ぶのが本当の学びだと思う。
うちの子は大学に行ったが、一瀬さんのように、やりたいことを見つけてがんばるということはいいと思う。
”楽しく生きていくにはどうしたらいいの?”っていうと、自分の好きなことを一生懸命やることほど楽しいことはないはずなので、そういう人生の幸せを求めるのが一番だと思う。
それで2人とも不登校で良かったと言っているが、私も息子が不登校で良かったと思っている。
開眼させてもらったのは、息子のおかげだと思っている。それまでは学校に行くのは当たり前、行かなくてどうするんだと思っていた」
高山アナ
「一瀬さんは具路さんの人生を見て、思うことはありますか?」
一瀬さん
「大学生活は楽しそうでうらやましいなと。僕は経験しなかったので、機会があったらいつか行ってみたいと思う」
高山アナ
「逆に具路さんは一瀬さんの人生はどう思う?」
具路さん
「”好きなことをやっていいんだ”と、早くから気づいていたというのがすごいうらやましい。それを見つけてずっと好きなことをやってきたというのがすごいことだと思う」
尾木ママ
「不登校の人たちの生き方から学ぶことがいっぱいあると思う。
”好きなことばかりやっているのは勉強ではない”、”わがままだ”、”それでは大学は受からない”というのは全然違う。
たしかに大学は受からないが、それは本当の学び。
好きなことをやることがどれだけ楽しいか。
(好きなことをやっている人は)困難がやってきても乗り越えて行ける」
はやぶささん
「焦らなくてもいいんだと思えた」
学びの形はさまざま。
焦らず、その人なりの学びの道を探してもいいのかもしれない。
ちゃママ感想
わたしは当たり前に学校に行っていたし、学校が楽しかったので、どうしても「学校に行って当たり前」という固定観念はあります。
でも、ネジバナさんが言っていた、
自分がやりたいこと知りたいこと、自分が興味を持ったことを自分の好きな時間に好きなだけ学ぶのが本当の学び
という言葉にはグッときました。
知りたいことはネットで学べる時代。
国の取り組みも広がっているなか、親は”学校がすべてではない”という発想を頭に入れておくべきなのかもしれません。
そして、高校から学校に戻り、今は大学生の具路さんを見ると、
「やる気になれば、学校の勉強って追いつくんだ」
と思えました。
今は宿題をしたらすぐに遊びに行ってしまう息子。
今やりたいことが外遊びで、外でたくさん学んでいるのでしょうね。
何歳からでも人は学べる
これからも「親業」を学んでいきたいと思います。
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