あの東日本大震災から6年が経ちますね。
当時、我が家は被害が大きかった岩手三陸の町に住んでいました。
NHKの「あの日 わたしは」という証言記録の番組を見ていると、みなさん想像を絶する体験をされていて涙が出てきます。
今日はわたしの「あの日 わたしは」を書きたいと思います。
目次
謎の大号泣は前兆!?
久しぶりに育児日記を読み返してみました。
息子は当時まだ10ヵ月で、晴れた日にはアパートのすぐ近くを流れる川の周りをベビーカーでお散歩するのが日課でした。
冬でも雪が少なく晴れの日が多かったので「太平洋側って暮らしやすいなー」「お日様ってありがたいなー」と思っていました。
ここで日記を一部公開。
3月8日(火) 晴れ/くもり
少し寒かったけど、河原へお散歩。たくさんの鳥を見て「あー」「うー」といっぱい話しかけていた。いつのまにか寝がえり返りができるようになっていて布団の上でゴロゴロ。
3月9日(水) 晴れ
昼前に震度4の地震があり、結構揺れた。寝ていた息子のそばに行くと息子も目がぱっちり。ちょうど昼食の時間だったから起きて良かったけど。午後河原へ行くも、鳥は数羽だけ・・・。
3月10日(木) 晴れ
朝6時半にまた地震があったけど息子はぐっすり。午前中遊んでいるとき、急にグズグズ。午後少し風が強かったけどお散歩へ。23時ころから謎の大号泣でパパと変わりばんこに抱っこをしたり、遊んだり。
9日、10日と余震が来ていたんですね。そして謎の大号泣。。
そして11日
3月11日(金) 晴れ
午前10時ころからまた昨夜と同じように泣くのでずっと抱っこ。遊んでいても思い出したかのように泣く。昼ころようやく寝た。
午後ベビーカーでお散歩へ。いつも通り河原を歩いて橋を渡って帰ろうとしたとき、携帯に緊急地震速報メールが。
緊急地震速報のメールは初めて鳴ったので、
あれ?これってたしか、大きい地震がくるよっていうことだよね?
と思って、ちょっと動揺して近くを歩いていたおばさんに、思わず「地震がきますよ」と教えていたわたし。
身構えるや否や、大きくて気持ちが悪いくらいの長~~い揺れが。
ベービーカーを押さえて、その場にしゃがんでおさまるのを待ちました。
こんなに長くて大きな地震は体験したことがない
揺れがおさまるとすぐに主人から電話が来て、お互いの無事を確認。
帰りに渡ろうと思っていた古い橋の付け根のコンクリートにひびが入りました。
橋の真下からは水道管が破裂したのか水が噴き出しました。
目の前の橋を渡るか、遠回りして大きな橋を渡るか迷いましたが、一台の車が橋を渡って行ったので、
車が渡れるなら渡っても大丈夫かも
と、少し速足で渡ってアパートへ帰りました。(橋は翌日から通行止め)
アパートはまだ新築だったので、家の中のものはほとんどそのままでした。
昨夜、寝るのが遅くなって疲れていたので「今夜は簡単にオムライスだな~」と思って、たまたま14時半にご飯が炊けるようにセットしていました。
電気も水道もガスも止まっていましたが、ごはんは炊けていました。
余震が続く中、ひとまず炊けたご飯を全部おにぎりにしました。
15時、16時と時間は経過し、窓から外を見ると、川の水が逆流して木などが大量に流されていました。
その時は大きな津波が来ていることなどまったく頭にありませんでした。
主人の会社は電気が通っているということだったので、夕方車で迎えに来てもらって避難。
テレビで地震のときの様子が流れていたけど、まだ現実なのかなんなのか実感がありませんでした。
会社の人に石油ストーブとラジオを借りて帰宅。
息子には買い置きしていたベビーフードを食べさせました。
断水は続いていたけど、お風呂に水が残っていたのでいろいろと利用できました。
12日以降の生活
3月12日(土)
一晩ラジオを聴きながら浅い眠り・・・朝食後、会社は電気も水道も通っているということで避難。電話を借りて実家へ連絡。実家へ避難するにも、まだ途中の道が危険かもしれないから動かないほうがいいとなり、一度帰宅して息子に昼食。会社へ水を汲みに行ってカレーを作った。ガソリンスタンドは大行列で給油は一台につき10ℓまで。夕方からセキをし始めた息子。停電のため早めの夕食で日暮れとともに布団へ。余震が続き不安でなかなか眠れず。関東や長野に友達がいるから心配。電気が復活したと教えてもらってテレビ。見入ってしまって寝付けず。
3月13日(日)
わたしと息子だけ(わたしの実家へ)避難することに。両親にガソリンを満タンにして車で途中まで来てもらい、車ごと交換。皆で昼食をとって主人はまたアパートへ、私たちは実家へ。息子は人見知り&場所見知り&後追いが激しさを増し、セキもひどくなってきた。アパートはまだ断水中とのこと。
3月14日(月)
アパートは水道が復活したけれど、ガソリンが完売状態とのこと。
当初、2週間程度の避難の予定でしたが、物資が安定するまで待つことにし、結局3週間実家に避難してアパートへ戻りました。
好運が続いた
わたしは本当に運が良かったと思います。
たまたまごはんを早い時間に炊いていたし、お風呂に水が入っていたし、地震のときに家の中ではなく外にいたし、アパートは海から2.5kmくらい離れていたし、、などなど。
川の水の逆流、、あの気持ち悪さは今でも忘れられません。
急成長中の息子
避難している間も息子はぐんぐん成長しました。
(1歳までは脳が急成長します→→関連記事はこちら「アタマを良くするには前頭連合野を鍛える!」)
わたしの両親には時間がかかりましたが慣れていきました。
息子にはアパートにいたら与えられなかった刺激をたくさん与えられました。
《避難中にできるようになったこと》
名前を呼んだら片手をあげて返事をする。
バナナを指さしたとき「バー」と言う。
パンを手づかみで食べる。
スプーンに乗せて持たせると口に運んで食べる。
いないいないばぁの本を見ると「ないない」とマネして言う。
上手にできると自分で拍手をする。
人差し指を一本だけ立てて指をさすことができる。
つかまり立ちから数秒間立って、拍手ができる。
グー、パーとやってみせるとマネをする。
ちゃママまとめ
南海トラフ地震は30年以内の発生確率が約70%とされています。
昨年の調査では地震を引き起こす「ひずみ」が広範囲にわたって確認されているそうです。
備えることはできます!
たくさんの方が亡くなった東日本大震災の教訓を生かしましょう!
そして、自分の子どもや孫の成長を見られなかった方はたくさんいます。
当たり前に息子の成長を見られる日々に感謝して、息子にも震災のことを伝えていきたいと思います。
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