ちゃママが卒園式を前に思うこと

こんにちは、ちゃママです。

いよいよ卒園式の総練習も終わり、卒園式を残すだけとなりました。

振り返れば“年少から幼稚園に入園させる”と決めてから、転勤による転園も経験し、あっという間の3年間でした。

年少のころの息子

入園当初は緊張した様子も見られましたが、わからないことは先生にきちんと聞いているようで、まさに取り越し苦労

わたしが思っているよりも、はるかにしっかりした子でした。(←親バカです)

それでも園生活の流れがわかってきた頃、「ママに会いたい」と泣いてしまうこともありました。

先生やお友達と過ごすことで気持ちを切り替えてがんばって通ってくれました。

泣いているお友達がいると自分のティッシュを差し出そうとする優しい一面もありました。

給食は最初は時間がかかっていましたが、苦手な物でも挑戦して食べるようにがんばりました。

次第にお友達に自己主張するようになり、うまく伝わらずケンカになることもありました。

幼稚園でもブロックや粘土で車ばかり作っていたようで、担任の先生からは、

「お友達との関わりを通して、車で遊ぶこと以外の様々なことにも興味が広がってくれば良いなと思っています」

と書かれてしまいました。。

でも、わたしは「何よりも好きな物がある」ということはいいことだと思っていたので、気にしませんでした。

むしろ、このあと車好きをもとにいろいろなことへ興味が自然に広がっていったので大成功だったと思っています。

子どもを「車好き」にすると得られる意外なメリット

年中~年長の息子

年中で転園したときも「(新しい環境になったばかりで大丈夫かな?)」という不安をよそに、わたしの取り越し苦労でした。

すぐに園になじみ、年上や年下など関係なくたくさんのお友達ができました。

自己主張が強かった年少時代があったおかげで、お友達の思いもあるということを理解した今では、ケンカしている子たちを止める子になりました。

年中のころはニュースを見ていると「これどうしたの?」と次々に聞くので、わたしもわかりやすく教えるためにすごく頭を使いました。

ちょっと難しい言葉を使っても、それは語彙力に繋がると思って話していたので、時には大人を相手に話している気分になりました。

園の行事はお友達とアイディアを出し合って相談し、時には譲るということも覚えました。

ついついわたしがやってあげてしまうことが多いので、これからは自立に向けて、少しずつ自分でできることを増やして行かなければなと思っています。

儚いほど美しい一回性の尊さ

わたしが本を読んでいて心に響いた文がありましたので、紹介します。

時は流れていくものであり、そこで生まれた思い出はすべて一回しか起こりません。

時が過ぎ去った後は、二度と戻ることない体験となるのです。

人生の中で本当に大切なことは、たった一回起こればよい。

そう潔く見切ることには、一抹の淋しさがつきまとうかもしれません。

しかし、繰り返すことができないことを知っているからこそ、一瞬一瞬の思い出が長く記憶にとどめられて輝いていくのではないでしょうか。

すべては一回性の出来事であるがゆえに、脳内の長期記憶のアーカイブの中に深く潜り込んでいき、他の記憶と絡み合うことで新たな人生の文脈がつくられ、自分というかけがえのない存在を形成しているのです。

「今、ここ」の出来事としての鮮明な衝撃は次第に薄れても、その影響は脳内の神経結合の文脈の中に深く潜り込んで決して消えることがありません。

そのことを認識する潔さこそが、人生を豊かに生き抜く知恵なのかもしれません。

人間は「忘れた」と思っていても、完全に忘れることはできないそうです。

記憶そのものは思い出せず、取り出せないけれど、必ず脳の中に入っているのだそうです。(メタ記憶といいます)

息子も三陸の町で暮らした1~2歳のことは「全然覚えてない」と言います。

3歳のころ、一生懸命公園巡りをしたのに「あまり覚えていない」と言います。

「あんなにたくさん外に連れ出して一緒に遊んだあの労力が…」と思っていましたが、メタ記憶のことを知ってからは、

「これまでわたしがやってきたことは、息子が成長していく上で、必ず何かしらの影響を与えてきた」

と思うことができました。

これからも、やったことがないこと、行ってみたいところ、一度だけでもいいのでいろんなことを一緒に体験していきたいと思います!

ちゃママが卒園式を終えて思うこと 【感謝】ブログを7ヵ月書いて思うこと│息子の生後7ヵ月頃の様子

 

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