こんにちは、ちゃママです。
最近読んだ本に触発されて、息子との時間を大切にしようと土日はお休みしましたm(_”_)m
さて、2018年7月8日放送の「林先生が驚く初耳学・夏の2時間SP」を見ました。
そのなかでも緊急企画「林先生×教師志望の学生」を書いておこうと思います。
スタジオには、将来学校の先生を目指すという現役大学生14人。
林先生に不安や疑問を質問し、答えてもらうという企画でした。
目次
授業は「真ん中のレベル」に合わせる
中学受験の前になると、受験勉強に集中するため学校を休む小学生が続出するなど、学校での授業の意義が問われている昨今。
林先生
「難しい問題。現行制度が続くのであればという過程のもとで話すと、平均に合わせるしかないと思う。
僕は集団教育をこう考えている。(グラフの)横軸を生徒の学力、縦軸を要求水準とします」
林先生のいう「要求水準」とは、学校側が生徒に求める学力のレベルのこと。
授業のレベルを一番高いところに設定した場合、もともと学力の高いAくんの場合は、ほんの少しの努力でそのレベルに到達できますが、学力の低いBくんだとかなりの努力が必要になります。
林先生は、本来、高いレベルの学力を生徒に求め、足りない部分は個人が努力するのが理想だといいます。
林先生
「本来は高いレベルに合わせればいいはずだが、これを公立の小中学校でやると学力の低い生徒側から大変なクレームがくる。
現実案としては、要求水準を真ん中にしておく。すると、平均的な学力の生徒の教育にはすごく有効だと思う。でも、学力の高い子はつらい。
(僕の仕事を)手伝ってくれている学生(東大生)に聞くと『小学校で授業は聞いていなかった』という答えしかない。
集団教育は本当に不幸なシステム。
明治時代に教育制度を西洋から取り入れた。それから150年間教育制度はほぼ変わっていない。
今もっともシステムが遅れているのが教育制度といっても過言ではない。
2006年度の東大の入試問題。
そのなかで、中世において学校というのは後継者見習い、つまりもともと『学校の先生になりたい生徒』が学校に来ていた。
教師は自分の仕事をしていると、生徒が勝手に見習っていた。
ところが、生徒の大部分が教師後継者ではなくなった近代の大衆学校では、ごく限られた範囲でしか後継者にはなってくれない。
でも集団教育というシステムはほぼ変わっていない。
これだけ個別に勉強できる環境が整っているのに、30~40人一緒にやろうという集団教育をそもそも維持すべきかどうかということ」
社会の変化が激しいなかで、150年前から変わらない集団授業がいまの時代でも機能しているとは言い難い。
林先生が「平均学力に合わせるしかない」と消去法をとっているところに、いまの日本の教育制度の問題点があるのです。
学力格差は親にも責任がある
どれだけ教師ががんばっても勉強ができない生徒は出てきてしまう。そんなとき、教師としてどう向き合うべきなのか?
林先生
「現実問題として、小学校1年生で『今日から授業ですよ』といったときに、みんな同じスタートラインにいます?
僕は子どもが小さいから公園などに行く。
多くのお母さんが『遊んでおいで』と言ってスマホをいじっていて、子どもが『お母さ~ん』と言っても『ん~あとであとで』という感じをよく見る。
子どもときちんとコミュニケーションをとらなくて、子どもの勉強ができるようになるとは思えない。
あぁいうことを小学校に入る前まで積み重ねてきて、『うちの子どもは勉強が苦手なのでなんとかしてください』っていうのを先生が抱え込むとしたら、それは負担が大きすぎる」
小学校入学前の学力に差があるのに、すべてを「教師の責任」にするのは親の理不尽。
だとするなら、教師が心がけることはこれしかないと林先生はいいます。
林先生
「その子があなたの授業を受ける前より1㎜でも前進していれば、それを褒めてあげる。
その子自身ができるようになったことがわかると、さらに2~3㎜伸びるということを繰り返していくしかない」
しかし、現在の集団授業において、全員の進歩を見守り、褒めることは難しいこと。
そんななかで、林先生が初めて語る「授業での問いかけのイメージ」とは?
林先生
「僕は生徒たちに一度にボールを投げるイメージで授業をやっている。
いっぺんに投げるから、当然全員の正面には行かない。ちょっとズレる子もいる。
それを自分で移動して取ってくれる子なのか、ちょっとズレたらまったく取ってくれない子なのか、その感覚を見ながら相手を見て話すレベルを上げたり下げたり変える。
一番上のクラスを教えるときは、とんでもない豪速球しか投げない。
そこに50人いても2人だけ取ればいい。楽に取るやつがいると、『あいつは取った。あいつとオレの違いはどこにあるんだろう』と、残りはみんな努力するようになる」
自信を持ち、服装を正す
生徒にナメられないかとても不安ですが、どうしたらいいですか?
林先生
「少し厳しいことを言うが、『ナメられるのでは?』という不安は、生徒に伝わる。
生徒は、先生が若いかベテランかは選べない。キャリアが無くても自信を持たないとナメられるということにつながりかねない。
長く教えていれば、ウソや間違いは起こる。
間違ったときは『ごめん』と潔く認め、『君たちもこの間違いはしないでくれ』と言う」
実際、林先生は「No.1以外は生徒に見透かされる」という考えから、とにかくNo.1であることにこだわり、授業の精度を高めているのです。
さらに、生徒から信頼されるために予備校講師である林先生が大切にしていることがあるという。
林先生
「教師は、きちんとした服装で生徒に接してほしい。むかしヨロヨロのジャージを着た先生に『制服おかしいぞ』と言われたときに『お前だろ』とカチンときた。
高い服を着る必要はない。手入れの行き届いた服装で『丁寧な暮らしをしている』というのを生徒の前で出したほうが、生徒も信頼しやすいと思う」
林先生が予備校の授業でシワひとつないスーツを着ているのは、この考えから。
生徒と信頼関係を築くには、まず自分の服装から正すべきなのです。
成功体験の押しつけは危険
親が学校に求めていることは、学力向上より社会的基盤を学ぶことというデータがあります。
生徒の人間形成のために必要な文化祭などの学校行事を成功に導くためにはどうすればよいのか。
林先生
「『自分が文化祭で得たものがあるので、生徒にも伝えたい』という、これはけっこう危険な考え方だと思っている。
僕自身は高校時代にラグビーをやりきった。そのことによって何か得たものがあるかといったら、自分が向いていないことに努力しても何ひとつ結果は出ないという、これを得られたということが最大の財産です。
仲間、青春、感動、まったくなかったです。いまだに同級生に会いたいとはまったく思わない。
何を言いたいかというと、『自分がこうだったから、子どもたちもこうだろう』ではなく、『自分はこうだったけど、子どもたちもそうかな?』と。
部活のなかでいい財産を得る子、学校行事を通じて未来につなげていく子もいるでしょう。みなさんの成功体験を否定する気はない。
一方で、僕みたいな子は必ずいる。
僕は高校3年生のときに、東大の文系も理系もどっちも受かるレベルに仕上げた。
運動をするときは満遍なく筋肉を鍛える。高校範囲の科目で鍛えなくていいところがあるわけがない。
そのことが、僕が教える力になっている。
『だからみんなも全科目勉強しなさい』とは一言も言わない。
『自分はこうだったけど、その子に合うものは何か』
『自分はこうだったから』という感動の再生産を図るのは、押しつけになるときもある。
成功体験が一番人の目を曇らせる」
学級運営がより難しくなっている現代。
だからこそ、限りある時間のなかではクラス全体の思い出よりも、一人一人の進歩を褒める時間に割くべき。
これが林先生の考え方なのです。
ちゃママ感想
小学校1年生の時点で、すでにスタートラインが違う。
衝撃的な話のようですが、息子が小学校に入って本当のことだなと実感しました。
これは、入学するまでに”勉強ができるようにしておく”ということではありません。
知的好奇心を持っている、人の話を聞くことができる、自己肯定感や非認知能力があるなど、さまざまなことが関係していると思います。
親が子どもとどういうコミュニケーションをとって、どんな環境を与えてきたのか。
林先生の言うとおり、たしかに子どもを遊ばせているときにスマホを見ている親は多いですよね。
東大生の親の90%が習慣的に子どもにやっていたこととは↑ここでもスマホは危険だと書きましたが、子どもが一番話を聞いてもらいたいのは親です。
子どもとの貴重な時間を、今すぐやらなくてもいいスマホに奪われるのはもったいないです。
親と子はあと○年○ヶ月しか一緒に過ごせない!そして、「自分はこうだったから、子どももこうだろう」は、親にも言えることだなと思いました。
とくに苦手なことは、「わたしも◯◯ができなかったから、子どももできないでしょ」などと思いがちです。
子どもは親とは違う可能性を秘めている。
そう考えると「自分はこうだったけど、子どももそうかな?」という視点で子どもを見ることは大切だと思いました。
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